愛について書こうとしていたのに全然別の話になった

憎しみは身を焼くというのはわたしの人生のモットー?どこかで聞いたのか自分で思ったのかわからないけど、なんというか、よく自分に言い聞かせる言葉のひとつで、憎しみとか怒りとかは外側に向かった感情のように見えて、実は自分の中身をえぐっている部分の方が大きい。外側に4向かっていたら自分には6向かっている。他の人は知らないけど、わたしはいつもそうだから、誰かを憎んだりとか本当に、本当に嘘くさいのは分かっているんだけど、本当にしたくない。楽しいとか嬉しいとかかわいいとか、ピースフルな生活がしたい。 でも生きるのってそういうものだけじゃないじゃないですか。自分の好きな人に近づく女は全員媚びて見えてムカつくし、成績よくないくせに教師を馬鹿にする同級生はどうしても見下してしまうし。それでも自分は好きな人に好きだとも言えないしたぶん結構媚びているし、満点取れるわけでもないのに授業もきいてない。そういう矛盾をわたしは受け入れて生きていくしかないわけで、憎いと思ってしまう自分のことを愛しいとさえ思わなければいけない。人間らしさだ、とか思って。だって人間きれいなだけじゃないじゃないですか。きれいなだけじゃなくて汚いことも含めて人間でしょ、自分の汚いところ否定してしまったら、それってわたしを否定することとイコールじゃない? なるべく憎しみから遠ざかるにはどうすればいいんだろう?人とあまり関わらなかった時期が昔あったけれど、その時は全員死ねって思ってたし別にわたしもいつでも死んでやるよと思ってた。関わりが増えてきたら、全員死ねとかはあまり思わなくなったけれど、憎しみはやっぱりなくならなかった。好きな人がいるときは憎しみが倍増する。なんでだろうね、好きな人のことも憎くなってくるし(でも好きなんだけどね)、少しでもなにかあるとイラッとするしムカつく。こう思うと憎しみは執着から生まれるのか?でも執着なしで生きていくなんて無理だ、人間いっぱいいるしひとりでは物理的にも生きていけないし。 とかそんなことを考えてバレンタイン、愛について書こうと思っていたのに、全然違う話になった、生きることはままならないし、それでもきみは今日もかわいかった。